序盤から『A.I.』を思い出して苦しくなった。ストーリーが進むにつれ想像とおりの展開になっていくのを観て切なくなった。『A.I.』のデイビッド(H・J・オスメント)が“残酷な童話版/ピノキオ”そのものならアンドリュー(R・ウィリアムズ)は“漫画版/大人のピノキオ”といったところか。コケティッシュな部分はさすがにR・ウィリアムズの得意とする分野でもあるので素直に顔が緩むのだが、あまりにも我の強い(本来なら彼の苦悩と受け取るべきなのだろうが)欲求とそれを実現していく彼には、共感よりも想像できる周囲の反発と彼自身の未来を思い心が痛んでくる。唯一ラストシーンに出てくるガラテア(カーステン・ウォーレン)に救われた気がした。実に多種多様なところで語り尽くされた感のある問題なのだが、ここで結局孤独な永遠の命よりも愛のある寿命を得たアンドリューは、やっぱり人間のないもの強請りを戒める訓示なんだろうなぁなどと考えてしまうのだった。だから、例えば“リトルミスあるいはポーシャ(いずれもE・デイヴィッツ)が機械化して共に永遠に幸せに生きる”などという結末は(奇しくも作中で世界司法(?)の議長が言った“永遠の命を持つものに対し人類は羨望と怒りを感じる(台詞として正確ではありません)”という言葉とおり)あまりにもファンタジスティックで観客は納得しないだろう。永遠の命はまだまだ我々にとって現実味がなさすぎる。
| 原題 | THE BICENTENNAIL MAN |
| 製作年 | 1999 |
| 製作国 | アメリカ |
| 時間 | 131 |
| 監督 | クリス・コロンバス |
| 原作 | アイザック・アシモフ |
| 脚本 | ニコラス・カザン |
| 撮影 | フィル・メヒュー |
| 出演 | ロビン・ウィリアムズ エンベス・デイヴィッツ サム・ニール オリバー・プラット カーステン・ウォーレン |

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